紗和の視点

運動会は、誰が何時にどこにいるのか

十月二日の予定は、もう家族三人の画面に入っている。それなのに、当日の話を始めて五分で、わたしと耕平の頭のなかがまるで違うことが分かった。日時は共有されていた。誰が何時にどこにいるのかは、どこにも書いていなかった。

夜のダイニングで、運動会のプログラムを広げて一緒に覗きこむ父親と母親、横から見ている娘と、椅子で丸くなる猫

 木曜の夜、洗い終わった水筒を伏せていると、耕平がリビングから聞いてきた。

「運動会って、俺、何時に出ればいい」

「七時半でしょ」

 そう答えてから、返事がないことに気づいて振り返った。耕平は、ソファに座ったまま、こちらを見ていた。

「……八時半に、みんなで出るんじゃないの」

 二人とも、しばらく黙った。

 わたしの頭のなかでは、耕平は七時半にひとりで先に出て、校庭にレジャーシートを敷いている。耕平の頭のなかでは、家族四人で八時半に玄関を出ている。

 同じ十月二日の、同じ運動会の話をしていたはずだった。

夜のキッチンで「七時半でしょ」と答える母親と、ソファで「八時半に、みんなで出るんじゃないの」と戸惑う父親の2コマ

 カレンダーには、ちゃんと入っている。

 十月二日(金)運動会。九時開始。校庭。持ち物は体操服、紅白帽、水筒、お弁当。母のお弁当と、折りたたみ椅子も入っている。先週、耕平がプリントを撮って、母を招待して、この家の三人が同じ画面を見られるようになった。

 入っていないものがあるとすれば、それは紙に書いていないことだ。

 プリントに書いてあるのは、行事のことだけだ。九時に始まる。校庭でやる。これを持ってくる。そこに書いていないのは、うちの家族が当日どう動くか、という話で、それは当然どこにも印刷されていない。

 去年は、それでも回った。わたしが全部段取りして、当日も、次は何、次はどこ、と言い続けていたからだ。耕平は言われたとおりに動いてくれた。よく働いてくれたと思う。

 朝、シートはどこ、と聞かれて、玄関の右の棚、と答えた。着いてから、場所どこ、と聞かれて、本部テントの斜め後ろ、と答えた。お弁当は何時、と聞かれて、十一時半、と答えた。

 そのたびに、わたしは競技を見ていない。

 ただ、あれは「手伝ってもらった」であって、「二人で分かっていた」ではなかった。

 手伝うというのは、指示を出す人が必要な状態のことだ。指示を出す人は、その日ずっと、指示を出すことに使われる。

 わたしが黙ったら止まる。先週わかったのはそういうことだったのに、わたしはまだ、当日のことを自分の頭のなかだけに置いていた。


 プログラムを広げた。学校からもらった、A3を二つに折ったやつだ。

 耕平がボールペンを持ってきて、余白に時間を書きはじめた。

「開門が七時半か。場所取りって、そんなに早く行くもんなの」

「去年、八時に行ったら、もう前のほうは無かった」

「じゃあ七時半だな。俺が行く。シートと、椅子と……椅子はお義母さんが持ってくるのか」

「一脚は持ってくるって。でも、母のぶんだけだと思う」

「うちのも持ってく」

 茉央が、風呂上がりの濡れた頭でやってきて、プログラムを覗きこんだ。

「わたしのかけっこ、なんばんめ?」

 プログラムを上から順に見る。開会式、準備体操、一年生の徒競走、二年生、三年生。

「九時五十分ごろだって。三年生は五番目」

「はやい!」

「朝いちばんだから、おばあちゃん、間に合うかな」

 そこで気がついた。母は去年、九時に間に合うつもりで、八時に着いてしまった人だ。今年は何時に来るつもりなのか、誰も聞いていない。

 朔が、床に寝転がったまま言った。

「さくも、はしるの」

 プログラムの後ろのほうに、未就園児と未就学児のかけっこがあった。十時三十分。園に通っている子も出られる、と小さく書いてある。

 これも、去年はなかった。去年の朔は二歳で、そもそも運動会の途中で寝てしまった。

「さく、走れるの」

「はしれる」

「まっすぐ?」

「まっすぐ!」

 まっすぐ走れるかどうかは、当日にならないと分からない。


 書き出してみると、当日は思ったより忙しかった。

 七時半に耕平が家を出る。わたしは朔を起こして着替えさせて、茉央と一緒に八時四十分に出る。九時に開会式。九時五十分に茉央の徒競走。十時半に朔のかけっこ。十一時半にお弁当。

 問題は、十時半の朔のかけっこと、そのあとの十一時の三年生の団体演技が近いことだった。朔を連れていくのはどちらか。演技を撮るのはどちらか。

「朔は俺が連れてく。茉央の演技は、紗和が前で見たほうがいい」

「でも、朔のかけっこも見たい」

「かけっこは三十メートルだぞ。十秒で終わる」

 それもそうだった。十秒のために演技を見逃すのは、三年生の側から見ると割に合わない。

床に寝転がって「さくも、はしるの」と言う幼い息子と、プログラムに時間を書きこみながら「朔は俺が連れてく」と答える父親の2コマ

「じゃあ、写真は」

「お義母さんに頼めばいいんじゃないか。座って見てるんだし」

 それを、ひとつずつカレンダーに入れた。

 運動会の予定とは別に、その日のなかに小さな予定を足していく形になる。七時半・場所取り(耕平)。八時四十分・家を出る(紗和と子ども二人)。十時三十分・朔のかけっこに付き添う(耕平)。十一時・団体演技(紗和)。十一時三十分・お弁当(母)。

 入力したのは耕平だった。わたしが言って、耕平が打つ形にならなかったのは、たぶんこの家では初めてのことだ。

「これ、お義母さんの画面にも出てるんだよな」

「出てる」

「じゃあ、電話しなくていいのか」

 わたしは、少し考えてから答えた。

「電話は、する。予定の話じゃなくて」


 その夜、寝る前にもう一度カレンダーを開いた。

 十月二日の欄に、見覚えのない予定がひとつ増えていた。

 九時四十分・東門から入ります(佐知子)。

 母が、自分で入れたらしい。東門のほうが駅から近くて、正門より空いている。去年、正門の列に並んでいたのを覚えていたのだと思う。

 わたしが把握して、伝えて、確認する。その手順を通らずに、母の予定が母の手で入っていた。

 画面のなかの十月二日は、もう、わたしひとりの頭のなかにはない。

夜のリビングでひとり、家族の予定が増えた画面を見て表情をゆるめる母親と、足元で眠る猫

 そこまで見て、体操服の袋を思い出した。あれは、まだ洗濯かごの中だ。

 紅白帽は、どこにあるんだったか。

この話に出てきた機能

家野家メモ

  • 行事は日時を共有しただけでは回らない。当日の「誰が・何時に・どこで・何をするか」まで分けて書き出す。
  • 分担は行事の予定とは別に、一件ずつ名前をつけて入れる。頼んだつもりと聞いたつもりのズレが消える。
  • 入力は、ふだん予定を管理していない側の人がやる。書いた人がいちばんよく覚えている。