紗和の視点

紅白帽はどこへ行った

玄関に明日のものを並べて、一歩下がって気がついた。紅白帽がない。持ち物の紙は、何が要るかは教えてくれる。それが家のどこにあるかまでは、どこにも書いていない。

夜の玄関に並べた体操服の袋・水筒・レジャーシート・子どもの靴を見下ろして、足りないものに気づいた母親と、そばに座る猫

 運動会の前の晩、八時すぎ。

 玄関に、明日のものを並べていく。体操服の入った袋。水筒。レジャーシート。朔のかけっこ用の靴。お弁当箱は、まだ台所に出したままだ。

 並べ終わって、一歩下がって見た。

 紅白帽がない。


 紅白帽というのは、あの、赤と白がひっくり返るやつだ。ゴムのあごひもがついていて、たいてい名前は内側に書いてある。

 わたしは、まず茉央の体操服の袋を開けた。入っていない。ランドセルの底も見た。図書の本と、折れた連絡帳と、給食のナフキンが出てきた。

 洗濯かごを見た。洗濯機のなかも見た。乾燥が終わったまま畳んでいない山も、ひとつずつ広げた。出てきたのは、朔の靴下の片方と、いつのまにか小さくなっていた茉央のTシャツだった。

「ねえ、紅白帽って、最後にいつ使った」

 リビングから、茉央が答えた。

「たいいくのとき」

「それはそうなんだけど、それっていつ」

「……いつだっけ」

 耕平が顔を上げた。

「一学期に持って帰ってきてなかったか。夏休みの前に、いろいろ持って帰ってきただろ」

 言われてみれば、そうだった。七月の終わりに、絵の具セットと鍵盤ハーモニカと上履きが一度に帰ってきて、玄関がいっぱいになった週があった。あのとき、帽子もあった気がする。

 気がする、というだけで、そのあとどこへ行ったのかは、まったく覚えていない。

洗濯機の中に腕を入れて探す母親と、リビングで「いつだっけ」と首をかしげる娘の2コマ

 持ち物のプリントは、よくできている。体操服、紅白帽、水筒、お弁当、レジャーシート。当日までに用意するものが、順番に並んでいる。

 ただ、あの紙は、それがどこにあるかまでは教えてくれない。

 うちの持ち物は、家じゅうに散らばっている。学校に置きっぱなしのもの。洗濯中のもの。園のバッグに入ったままのもの。そして、衣がえのときに、季節外れのものと一緒に箱に入れられたもの。

 持ち物の名前を思い出すことと、そのものが家のどこにあるかを知っていることは、別の作業だ。前の晩にやっているのは、たいてい後者のほうで、こちらのほうがずっと時間がかかる。

 しかも、後者には期限がある。明日の朝までに見つからなければ、それは無いのと同じになる。

 そして、この家で「どこにあるか」を知っているのは、たいていわたしだ。しまったのがわたしだからで、べつに記憶力がいいわけではない。しまった人だけが知っている、というのは、先週から何度も出てきた形だった。

 去年は、当日の朝に見つからなかった。体操服の袋に予備の白い帽子を入れて、これでいいことにしよう、と言って家を出た。校門の前で、茉央が「みんな赤白のやつだよ」と小さい声で言った。あのときの顔は、まだ覚えている。


 茉央にもう一度聞いた。

「学校のロッカーに入れっぱなし、ってことはない?」

「ないとおもう。……ないよ。たぶん」

 三回のあいだに、確信が二段階下がった。

「押し入れ、見た?」

 耕平が、廊下の奥から言った。

 衣がえの箱は、押し入れの上の段にある。夏に使ったものを入れて、九月の頭にしまったやつだ。しまったのは、わたしだ。

 朔が先に走っていって、下から手を伸ばして、箱を引っぱった。中身が半分ほど床に落ちた。麦わら帽子、プールバッグ、サンダル、そして赤と白の布。

「あった」

 朔が、それを頭にかぶって振り返った。あごひもが伸びきっていて、顔の半分が隠れている。

 しらすが、床に落ちたプールバッグの上に、もう座っていた。

押し入れの衣がえの箱を引っぱり出す幼い息子と、見つけた紅白帽をかぶって「あった」と振り返る姿の2コマ

 茉央が走ってきて、朔から帽子を取り返した。内側の白いところに、去年の春に書いた名前が残っていた。


 いえのーとの持ち物リストには、明日のものが最初から入っていた。

 先週、耕平がプリントを撮ったときに、日付と一緒に取りこまれたものだ。体操服、紅白帽、水筒、お弁当、レジャーシート。玄関でひとつずつ確かめて、用意できたものにチェックを付けていく。

 水筒にチェックを付けたのは耕平だった。台所で洗って、伏せて、そのままスマホで付けたらしい。わたしは、それを玄関で見ていた。

 チェックが付いていくと、付いていないものだけが残る。あの時点で残っていたのは、紅白帽ひとつだった。

 白状すると、探しているあいだ、アプリは何もしてくれなかった。帽子がどこにあるかは、当たり前だけれど、誰も知らない。押し入れを開けたのは耕平で、箱を引っぱり出したのは朔だ。

 持ち物の一覧が教えてくれるのは、要るものの名前と、まだ集まっていないものだけだ。それ以上のことは、はじめから期待していない。

 ただ、探すものが一つに絞れているのと、何が足りないのか分からないまま家じゅうを見て回るのとでは、まったく違う。去年のわたしは、たぶん、帽子を探しながら「ほかにも何か忘れている気がする」と思い続けていた。


 九時前に、玄関に全部そろった。

 体操服の袋。紅白帽。水筒。レジャーシート。朔の靴。お弁当箱は台所に出してあって、明日の朝、母が持ってくるおにぎりと合流する。

 朔が、自分の靴を、わたしの靴の隣にきちんと並べた。誰も頼んでいない。

 茉央が寝る前に、玄関をもう一度見に来た。

「ぜんぶある?」

「ある」

 わたしは、明日の朝に探すものが一つもない状態で、電気を消した。

明日の持ち物がすべて並んだ夜の玄関と、照明のスイッチに手をかけてそれを見ている母親

 こんなに静かな前の晩は、たぶん、初めてだった。

この話に出てきた機能

家野家メモ

  • 前の晩の準備は「何が要るか」より「どこにあるか」に時間がかかる。要るものを先に並べてから探しはじめる。
  • 用意できたものにチェックを付けていくと、残っているものだけが見える。探す対象が一つに絞れる。
  • 衣がえの箱は、季節外れのものと一緒に学校の持ち物も飲みこむ。しまうときに中身を一度だけ見ておく。