紗和の視点

「ハンカチ2枚」ってどういうこと

園のおたよりの持ち物に、ハンカチ二枚、と書いてあった。一枚ではなく、二枚。なぜ二枚なのかは、どこにも書いていない。書かれていないのは、隠しているからではなく、園のなかではあたりまえのことだからだ。

朝の保育園の玄関で、先生と話しながらスマートフォンにメモを取る母親と、その足元でしゃがんで靴を履き替える幼い息子

 朔の連絡帳ばさみに、おたよりが一枚はさまっていた。

 芋掘りのお知らせだった。来週の水曜、近くの農園まで歩いていって、掘ったあとは公園でおにぎりを食べて帰ってくる。持ち物は、長ぐつ、よごれてもいい服、着替え一組、ビニール袋二枚、水筒。それから。

 ハンカチ二枚。

 二枚。

 わたしはそこを三回読んだ。一枚ではなく、二枚。なぜ二枚なのかは、どこにも書いていない。予備ということなのか、それとも使い道が二つあるのか。読んでも分からないので、紙を持ったまましばらく立っていた。

 台所から耕平が顔を出した。

「どうした」

「ハンカチが二枚いるんだって」

「二枚?」

「二枚」

「……予備か?」

 耕平にも分からなかった。


 園のおたよりには、ときどきこういうものが混ざる。

 コップ袋のひもは長すぎないように。タオルはループ付き。着替えは上下二組で、下着は三枚。名前は右下に、大きく。

 どれも、書いてあるとおりにすれば間違いはない。ただ、なぜそうなのかが書いていない。だから、少しでも形の違うものを買うときに迷う。ループ付きのタオルが売り切れていたら、ループを自分で縫うべきなのか、なくてもかまわないのか。判断のしようがない。

 書かれていないのは、隠しているからではない。園のなかでは、あたりまえだからだ。毎日その場にいる人にとって、ハンカチが二枚いる理由は、わざわざ説明するようなことではない。おたよりは、その前提の上に書かれている。

 前提を持っていないのは、こちら側だけだ。

 しかも、たちが悪いことに、この手のことは一度聞けば分かる。聞けば分かるから、その場で納得して、それで終わりにしてしまう。聞いて分かったことは、紙にもアプリにも残らない。

 茉央のときにも、たぶん同じことを聞いている。三年前のわたしは、ちなつ先生ではない別の先生に、同じような質問をしたはずだ。答えも聞いたはずだ。

 いま、何ひとつ覚えていない。


 翌朝、朔を送ったときに聞いた。

 自転車を停めて、朔の靴を履き替えさせて、荷物をロッカーに入れて、それから、すみません、と声をかけた。

「あの、芋掘りのハンカチなんですけど、二枚っていうのは」

「ああ、一枚はお口ふき用です」

 即答だった。

「公園でおにぎりを食べるので、膝に広げて使うんです。それとは別に、手を拭くぶんをポケットに一枚」

「なるほど」

「去年、一枚で来た子が多かったんですよ。それで今年から、二枚って書くようにしました」

 今年から書くようになった、ということは、去年までは書いていなかったということだ。書いていなかったころは、どうやって伝わっていたのだろう。たぶん、伝わっていなかった。

朝の保育園の玄関で、おたよりを手に「二枚っていうのは」と尋ねる母親と、「ああ、一枚はお口ふき用です」と即答する保育士の2コマ

 ついでに、と思って、もうひとつ聞いた。

「タオルのループって、なくてもいいですか」

「あー、フックに掛けるので、あったほうがいいです。なければ、ひもを縫い付けてもらえれば」

「名前の位置は」

「右下です。子どもが自分で見るので、広げたときに右下に来るように」

 聞けば、いくらでも出てくる。出てくるのに、聞かなければ一つも出てこない。

保育士が指を折りながら次々と説明し、それをスマートフォンに打ちこんでいる母親

 その日の昼休みに、いえのーとを開いて、ノートに書いた。

 はなぞの保育園のこと、という一件を作って、そこに足していく。ハンカチは二枚。一枚はお口ふき用で、外で食べるときに膝に広げる。タオルはループ付き、なければひもを縫う。名前は、広げたときの右下。

 行事ごとにノートを分けようかと思って、やめた。分けると、どこに書いたかを探すところからやり直しになる。園のことは、園の一件にまとめておく。

 書いてから気づいたことがある。

 これは、朔のためのメモではない。朔は来年、年長になる。再来年には小学校に上がる。このメモがいちばん役に立つのは、たぶん今年の水曜ではなくて、来年の、同じ時期のわたしだ。


 夜、朔がわたしのスマホを覗きこんだ。

「なにかいてるの」

「保育園のこと」

「なんで?」

「忘れちゃうから」

「わすれるの?」

「忘れる」

 朔は、へえ、という顔をした。忘れる大人というものを、はじめて見たみたいな顔だった。

夜、スマートフォンに書きこむ母親を覗きこんで「わすれるの?」と聞く幼い息子

 それから、思い出したように言った。

「ながぐつ、いるんだよ」

「うん、書いてあったね」

 長ぐつは、下駄箱のいちばん下の段にある。去年の春に買ったものだ。

 まだ履けるかどうかは、確かめていない。

この話に出てきた機能

家野家メモ

  • 園や学校の指定で意味が分からないものは、その場で聞く。書かれていないのは隠しているからではなく、中にいる人にはあたりまえだからだ。
  • 聞いて分かったことは、その日のうちに書き留める。口で聞いたことは記録が残らないので、翌年また同じことを聞くことになる。
  • 園のきまりは行事ごとに分けず、1件のノートにまとめて追記していく。分けると、どこに書いたかを探すところからやり直しになる。