紗和の視点

芋掘りの長ぐつ、去年のはもう入らない

火曜の夜、下駄箱のいちばん下から長ぐつを出した。朔の足は、途中で止まった。明日の朝、九時半には園を出る。いちばん近い靴屋が開くのは、十時だ。

夜の玄関で、青い長ぐつに足を入れようとして途中で止まっている幼い息子と、それを見ている母親

 火曜の夜、下駄箱のいちばん下の段から、朔の長ぐつを出した。

 青い長ぐつ。去年の春に買って、去年の梅雨に何度か履いて、そのあとはほとんど出番がなかった。土のついたところを雑巾で拭いて、玄関に並べた。

「履いてみて」

 朔はパジャマのまま、片足を入れた。

 途中で止まった。

 もう一度入れた。同じところで止まった。朔がわたしの顔を見上げて、少し困ったような顔をした。悪いことをしたと思っているときの顔だ。

「入らない」

「うん」

「はいらない」

 朔は悪くない。悪くないのだけれど、明日の朝、九時半には園を出る。農園まで歩いて、畑で芋を掘る。

 スマホで近くの靴屋を調べた。いちばん近い店は、十時開店だった。

夜の玄関で青い長ぐつに足を入れようとして途中で止まる幼い息子と、「入らない」と見上げるその顔を見ている母親の2コマ

 服と靴は、必要になる日にだけ確かめられる。

 ふだん履くものなら、きついとかゆるいとか、毎日のどこかで気づく。気づかないのは、ふだん履かないものだ。長ぐつ。上履きの予備。水着。手袋。夏祭りの甚平。

 一年に数回しか出番がないものは、次に出したときには小さくなっている。四歳から五歳にかけての一年で足は一センチ以上伸びるので、これは気の持ちようではなく、ほぼ確実にそうなる。

 それでも気づかないのは、確かめるきっかけがないからだ。使う日が来て、出して、履かせて、そこではじめて分かる。そして使う日というのは、たいてい明日だ。

 おたよりは一週間前に来ていた。長ぐつ、と書いてあった。読んだし、書いてあったね、と朔と話しもした。

 読んだのに、確かめなかった。長ぐつという三文字を見て、うちには長ぐつがある、と思って、それで終わりにした。あるかどうかと、履けるかどうかは、別のことだったのに。


 耕平が仕事部屋から出てきて、事情を聞いて、少し考えた。

「明日、俺が九時に出れば……いや、開いてないな」

「開いてない」

「サンダルじゃだめなのか」

「畑だから、だめだと思う」

 園のクラスにも、連絡用のLINEのグループがある。去年のクラス委員が作ったもので、ふだんはほとんど動かない。半年ぶりに開いた。

 急なお願いですみません、明日の芋掘りで、十七センチくらいの長ぐつを貸していただける方はいませんか、と書いた。

 三分で返信が来た。うちにあります、去年のでよければ。

 そのあと、もう二人から、うちにもあります、と続いた。

夜のリビングで、園のクラスのLINEにすぐ返信がついた画面を見て、息を吐いている母親

 朝、少し早く出て、園の門の前で受け取った。十七センチ。緑色で、かかとに恐竜のシールが貼ってあった。

 朔は、恐竜がついている、と言って、その場で二回まわった。


 その日の昼、買い物リストを開いた。

 長ぐつ、十七センチ、と書いた。色は青か緑、と足した。それから、出番の少ないものを思いつくかぎり出して、一つずつ確かめていった。

 上履きは、いまのがぎりぎり。来月には要る。手袋は去年のがどこにあるか分からない。水筒のパッキンは去年の夏に一度なくしている。茉央の縄跳びは、背が伸びたぶん短くなっている。

 全部、買い物リストに入れた。サイズと色まで書いた。

 サイズを書いておかないと、買いに行った側がその場で電話をかけてくることになる。何センチだっけ、という電話を、売り場から受けたことが何度もある。あれは、二人ぶんの時間が同時に止まる。

 週末、耕平がまとめて買ってくると言った。

「じゃあ、朔を連れていって。足を測ってもらったほうがいい」

「測るって、どうやるんだ」

「店の人がやってくれる」

 耕平は、そうか、という顔をした。知らなかったらしい。わたしも、茉央のときに店の人に教わった。知らないことを知らないままにしていたのは、こちらも同じだ。


 水曜の夜、借りた長ぐつを風呂場で洗った。

 泥はなかなか落ちなかった。溝に細かい土がつまっていて、指で押し出すと、畑のにおいがした。

 朔は芋を三本持って帰ってきた。大きいのが一本と、小さいのが二本。小さいほうは自分で掘って、大きいほうは先生が掘ったのを分けてもらったのだと、聞く前に自分から言った。

「あしたも、いもほりする?」

「しないよ。芋掘りは一年に一回」

「いちねんに、いっかい」

 朔は、少しがっかりした顔をした。

夜の風呂場で借りた長ぐつの泥を洗っている母親と、洗面所の床に芋を三本ならべて見せている幼い息子

 洗い終わった長ぐつを、玄関で逆さにして立てかけた。明日の朝、返しにいく。

 下駄箱のいちばん下の段には、入らなかった青い長ぐつが、まだそのまま置いてある。

この話に出てきた機能

家野家メモ

  • 長ぐつ・上履き・水着のように年に数回しか出さないものは、使う日の前夜ではなく、おたよりを見た日にサイズを確かめる。
  • 買い物リストにはサイズや色まで書く。品名だけだと、買いに行った側が売り場から電話をかけることになる。
  • 出番の少ないものは一度にまとめて棚卸しして、そのままリストに入れる。気づいた日にまとめておくと、次の「前夜」が一回減る。